【ベトナム経営】vol. 28
MIZUNO CORPORATION
ミズノ
運動が楽しいと思える原体験を ベトナムの子どもたちに
ベトナムの教育現場でスポーツメーカー「ミズノ」が開発した「ミズノヘキサスロン運動プログラム」(以下、ミズノヘキサスロン)が注目を浴びている。ミズノは、2018年にベトナム教育訓練省とミズノヘキサスロンの公教育採用と導入に向けた協力覚書を締結し、2020年に3期連続で文部科学省支援事業として採択された。そのプロジェクトリーダー森井氏に話を聞いた。
遊びの延長で身につく
運動プログラム
―ーベトナムでの取り組みを教えてください。
森井 ミズノヘキサスロンは、子ども達の運動発達プロセスに必要な「走る、跳ぶ、投げる」といった36の基本動作を楽しみながら身につけることのできる「運動遊びプログラム」です。弊社は「運動のベースは遊びである」と考えており、ミズノヘキサスロンは、運動が苦手な子どもでも、効果的に楽しく身体を動かすことができます。実は、開発した当初は、肥満に代表される健康被害が懸念されている日本国内や欧米など先進国向けのプログラムでした。ところが、私が東南アジア地域の営業を担当していた2015年、マーケターとしてベトナムに初訪問した際に運命的な出会いがありました。ベトナムで弊社の製品を扱いたいと連絡をくださった代理店の方の紹介で、かつて教育訓練大臣を務めたこともある副首相に会うことができたのです。そして、その方から小学校の体育の授業を見学する機会をいただきました。
授業の見学を終えて、私はベトナムの体育には3つの要素が足りないと実感しました。ひとつは時間。日本は45分授業が一般的ですが、ベトナムは30分でした。2つめに場所。小学生たちは石畳の中庭のような場所で体を動かしていましたが、決して運動場とは呼べないような狭い場所でした。3つめは笑顔。小学生たちの表情から「運動って楽しい! 身体を動かすとスカッとする!」という感情が伝わってきませんでした。もちろん、教えている先生にも笑顔はありません。そんな光景を目にしたのがきっかけとなり、ミズノヘキサスロンをベトナム政府に提案することを思いつきました。「営業マンの嗅覚が働いた」とでも言いましょうか。最初は、単に商売を成功させたいという気持ちが強かったのですが、次第にその感情に変化が生まれてきました。
単発商売から
社会課題解決型ビジネスへ
森井 ミズノヘキサスロンの営業のため、日本とベトナムを行き来する生活が始まりましたが、実はベトナム教育訓練省とのやりとりは決してスムーズではなく、時として疑心暗鬼になった時期もありました。そんな中、初めて私立の小学校でヘキサスロンのパイロット授業を行ったところ、小学生たちが満面の笑みで楽しんでくれました。その笑顔を見て、「ベトナムの子どもたちの無垢な笑顔に救われながら、子どもたちの笑顔を作っていきたい」と考えるようになったのです。単発商売の考え方では長続きはしません。今は、ベトナムで、持続可能な社会課題解決型ビジネスとして、100年先の当たり前をつくるという気持ちで日々取り組んでいます。
―ーベトナムでプロジェクトを進める上で重要視したことは何ですか?
森井「このプログラムを取り入れるべきだ」という上から目線ではなく、「違いを認めた」うえで、「執着すること」です。具体的には「さしすせそ」。つまり、「さ」は、誰よりも先にやること。「し」は、正直に。「す」は、好き勝手にやること。ただし、「せ」は、誠実であること。最後に、「そ」は、尊敬の念を持って取り組むことです。弊社の創業者は、「利益の利より、道理の理」という言葉を残しており、自分たちの利益だけを考えるのではなく、常にお客様の目線に立ち、フェアプレイ(公正な行動)、フレンドシップ(友情)、ファイティングスピリッツ(闘志)を持って取り組むことが大事だと感じています。
ベトナムの学習指導要領が建国後初めて改定されると知った2016年、すでにシンガポールやドイツなどと競合し、日本型教育としてのミズノヘキサスロンは、陸上競技でいうところの周回遅れの状況でした。ところが執着しながら諦めずに走り続けたところ、学習指導要領附則ガイドラインに採用、組み込むことを実現しました。
―ー今後の展望を教えてください。
森井弊社は、SDGs(※2015年国連サミットで決められた、持続可能な開発目標)の実現に貢献します。「より良いスポーツ品とスポーツの振興を通じて社会に貢献する」という経営理念のもと、ベトナムにおけるミズノヘキサスロンのように人から愛されるプログラムやプロダクトなどを生み出し、世界に問い続けることも、今後弊社が担うべき役割だと思います。
実はベトナムにここまで関心を抱くようになったのは、偶然見た日本・ベトナム国交樹立40周年記念ドラマ『パートナー』の影響もあるのです。このドラマはベトナムの独立運動の指導者ファン・ボイ・チャウと日本人医師である浅羽左喜太郎の交流を描いたもの。ファン・ボイ・チャウの生き様とその精神を手本に、今後もベトナムの人々と一緒に、燃焼しながら邁進していきたいですね。
1906年創業。日本で近代スポーツが本格的に受け入れ始める前からスポーツ用品を製造・販売。現在は世界の主要な国や地域に海外拠点を構え、グローバル市場へ展開している。
MORII SEIGO
1971年生まれ。兵庫県福崎町出身。滋賀大学経済学部卒。1995年ミズノ株式会社入社。長年、国内営業に従事した 後、2008年より6年間、アジアオセアニア地域でスポーツ品の販売・マーケティングに携わる。2014年2月より主にベトナムを担当、現在に至る。2018年、経産省主官「第6回グローバル大賞・国際アントレプレナー賞」を受賞。
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