「日系部品メーカーの社内通訳」
通訳のコツは簡潔な言葉を選ぶこと

進出日系企業がベトナムで最初にすることが、「通訳者探し」というケースも多い。4年前に進出した岐阜県の部品メーカーが、出会った通訳者がゴックさん。現在では経理長として工場長と同格の立場となり、社長の右腕として奮闘する。

有限会社武芸川精工 ベトナム経理長
Ms. Lieu Thi Mong Ngoc
営業部
Mr. Dinh Tuan Anh
総務長
Ms. Do Thi Nhu Tho

日本で技能実習生今は通訳兼経理長に

工場長(左)と前川社長(中央)の通訳
金属の切削加工やプラスチック成形などを請け負う武芸川精工ベトナムは、2011年7月にホーチミン市で創業した。日本本社で約10年前からベトナムの技能実習生を受け入れていることもあり、初の海外進出先をベトナムに決めた。前川元秀社長は語る。

「他の国の実習生にはトラブルを起こす人もいたのですが、ベトナム人は一切ありませんでした。ホーチミン市を選んだのは、タイ、マレーシア、シンガポール、台湾などに数時間で行ける立地の良さからです」

同社の通訳の中心となっているのがNgoc(ゴック)さんだ。仕事は社内通訳全般で、唯一の日本人である前川社長と従業員との通訳、日本本社との連絡や報告、顧客である日系企業とのメールのやり取りなど。

また、毎月行われる社長、工場長、10人のリーダーとの会議にも出席するが、ここでは経理長の立場にもなる。彼女は通訳者として採用されたが、すぐに経理を任されるようになったのだ。

「採用後に3ヶ月ほど日本本社で研修を受けてもらったのですが、その間に経理職がいないことに気が付いた(笑)。そこで、急きょ経理もお願いしたのです」(前川社長)

工場内の様子
ゴックさんはベトナムで経理専門の短期大学を卒業。その後、2006年~2009に、まさに技能実習生として三重県の部品メーカーで働いた。渡日前に3ヶ月ほど日本語学校に通ったものの、本格的な学習は日本での独学。会社の日本人と会話をしながら、夜は本を読んで日本語を覚えた。

「辛かったですね。最初は毎晩泣いてました(笑)」(ゴックさん)

その後、ベトナムに戻ってローカル企業に経理職として就職するが、日本語を活かせる場で働きたいと、2011年2月に設立前の武芸川精工ベトナムに就職した。今ではチーフアカウンターの資格を持ち、「全てのお金を管理する存在」と社長から言われるほどだ。

怒り役とほめ役通訳者は3人に

Factory-3社内通訳のコツは「簡単な言葉で伝えること」とゴックさんと前川社長は口をそろえる。敬語は使わず、極端に言えば単語だけで済ませる。加えて、感情に訴えた表現はしない。そのほうが間違いなく伝わるからだが、「いかにして簡単な言葉にするか」に頭を使うそうだ。

従業員のミスを注意する場合に、あえて婉曲な表現にする通訳者も多いが、前川社長は「ストレートに伝えてほしい」と指示している。

しかし、その先はゴックさんではなく、別の通訳者のAnh(アイン)さんだ。ゴックさんが産休に入った2012年に入社した青年で、日本では留学とIT系企業で働いた経験がある。現在は営業を担当している。

「ゴックさんは優しい性格なので人に強く言えません。ですから、アインに『怒り役』、ゴックさんにはその後をフォローする『ほめ役』になってもらっています」(前川社長)

「はい。皆に嫌われています(笑)。でも、通訳する時はそのままではなく面白い言葉を使っています。本当に嫌われたらイヤですよ」(アインさん) 

アインさんと同時期に新卒で入社したのが総務長のTho(トー)さん。グエン・タト・タイン大学で日本語を学んだ女性で、輸入等のインボイスを作成しながら、主に外からの電話の通訳とメールの翻訳をしている。このように同社では、彼ら3人が各自の主業務を持ちながら通訳者を兼務している。

従業員は育てる4年で大きく成長

通訳者にもミスはある。「メールで何度も文法を間違えましたし、技術用語も難しい」と語るのはゴックさんだ。しかし、前川社長は気にする様子がない。

「メールは私にCCしていますから、いくらでも訂正ができます。それに、機械関係の部品の名前など日本人でも知りません。最初からうまくできないことは、日本での技能実習生で慣れています」

同社では基本的に、技術者の経験者採用をしていない。理由は「癖があってあまり伸びない」から。未経験から育てて一人前にする姿勢は、通訳者を見る目にも表れているようだ。

通訳の魅力をゴックさんは、「スタッフとお客様をつないで、仕事がうまく進んだ時が面白い」と語る。そのためか、仕事はこのまま、経理と通訳を続けていきたいと考えている。他の2人も同様という。

武芸川精工ベトナムの顧客企業には様々な業種の日系サプライヤーが多く、設立当初は20人ほどだった従業員が現在では約150人に増えた。会社を設立して今年で4年たつが、離職率は5%とかなり低い。日系企業進出の、ひとつの成功例だろう。