先生と土地を得て、第2の農業を始める
ベトナム軍団

 
ベトナム中部で農業を起業した日本人は少なくないが、とりわけ異彩を放つのが「ベトナム軍団」だ。2012年に体一つで来越した10人の若者たちは今、別々の道を歩み始め、軍団は第2ステージへと移った。

リーダー 髙埜太之氏 (33歳)
高校卒業後に上京し、アルバイト生活を送る。その後、国際交流NGOピースボートの船上で約2年間働き、下船後は東京の文具メーカーに就職。2011年の東日本大震災を機に退職してボランティア活動に参加。企業研修の会社を友人と設立後、ベトナムでの農業起業を考え、仲間とともに2012年に来越。2013年に再来越し、本格的に活動を開始。

 

「そっち側」に立ちたい

 

髙埜氏がベトナム行きを決めた遠因は、2011年3月の東日本大震災だ。東京の文具メーカーで働いていた29歳の時、昔の仲間が震災後の被災地でボランティアをしていることを、偶然ラジオで耳にする。東北にある仕入れ先工場の状態などを心配していた彼は、仲間の活動を聞いて「俺は何をしているんだ」と思ったそうだ。

4月に退職してその足で宮城県石巻市に行き、ボランティア活動に加わった。周囲には20代の若者も多かったが、驚いたのは皆、仕事ができること。しかし、働く場所がないという人も少なくなかった。「おかしいじゃないか」と感じたという。

その後、東京に戻って、友人と企業研修の会社を立ち上げた。事業が拡大すると国内だけでなく、アジア各国での視察ツアーなども行うようになり、ベトナムにも展開した。
「1ヶ月間のホーチミン市滞在中に多くの日本人起業家と会ったのですが、皆輝いて見えました。私も『そっち側』に立ちたくなったのです。帰国後、ボランティアの仲間をはじめ、知り合いに声をかけ、元気で明るい奴ら10名を集めました」

事業は農業に決めた。安全な野菜の需要が見込めるのと、仲間が半永久的にモチベーションを保ち続けられる職業と考えたからだ。メンバーには「観光ビザを取って、10万円用意すれば、3ヶ月の生活は保障する」と伝え、準備中に活動場所の決定のためにバンメトートとダラットを訪問。ダラットを選び、在越日本人起業家の出資の下、事業をトマト栽培に定めた。2012年9月に10人はベトナムに渡る。

 

初出荷3万円に感動

 

ダサール村でのベトナム軍団の活動

ダラット市内にアパートを借り、山岳地帯の開墾を開始するが、うまくいかなかった。借りた畑の面積や立地条件では収益可能な生産は難しいとわかり、12月に一旦帰国。その後、改めて農業を希望する4名に新規メンバー1名を加えて、2013年2月に再来越。トマトに適した土地を探して、ダラットからバイクで約30分のダサール村に土地と家を借りた。
その後は、3000㎡の荒地をスコップと鍬で耕す毎日。イタリアントマトの栽培を始め、大量に実るが、味や形が不揃いなために全く販売価格に合わなかった。

「イタリアントマトは人手をかけない大規模農業が基本なのですが、僕らは手間をかけて土地のパワーも奪ってしまった。『早く気づけよ』ってことですが、全員に農業の知識がなく、ネットで調べてもそれが正しいかどうかわからなかったのです」

その後は大玉トマトや日本人向けのキュウリの栽培に切り替え、ようやく6月にホーチミン市のコンビニに初出荷できた。

「月収で約3万円でしたが、全員が感動していました。ベトナムで初めて稼いだお金でしたから、もううれしくて」

 

2015年、別々の道へ

 
農作業は朝7時の朝礼に始まり、昼間の2時間の休憩を挟んで、夕方の5時まで。髙埜氏は朝6時に農場へ行っていたという。作業は大変でなかったと語るが、休日は日曜日のみで、自給自足の共同生活。さぞストレスが溜まりそうだが…。

「メンバーが明るい奴ばかりなのと、ネットが使えたのが救いでした。日曜日にダラットでバインミーやフォーを食べるのが唯一の楽しみだったな(笑)。また、3ヶ月ごとに日本に帰って、皆1ヶ月半ほどバイトをしていました。航空券代を除いて、30万円くらい稼いでくるんですよ。生活費はほとんどかからないので、溜まったお金でビニールハウスやトラクターを買いました」

2014年は気温の低下で農作物が打撃を受けるなどするが、6月にはトマトの出荷量がピークとなり、月の売上で生活費や資材費を賄えるようになった。しかしその後、再び収穫量が激減する。こうした試行錯誤の中、バンメトートで有機農法を続ける日本人から人材募集の声がかかり、全員で訪問。指導者と共に設備が整った環境で有機農業がしたいというメンバーが出て、髙埜氏を含む半数がバンメトート行きを決めた。

「技術がある人でも苦労しているのに、自分たちには技術すらない。それを教えてくれる先生がいて土地がある。1月より、一から修行の再出発します」
メンバーにはベトナムの幼稚園に就職した人もいれば、別の国で農業を志す人もいるという。髙埜氏は「満足ではないが悔しくはない」と語る。

「自分にとって起業に大切なものは友人。頼りになるし、起業家タイプでない私でも『仲間の身を守るためなら』と思えば、何でもせざるを得ないからです」
起業の成功は簡単ではないが、結果よりもその過程で得られるものが大きい場合もあると、ベトナム軍団は教えてくれる。